森林の中で朝日があたる程度の湿った日陰を好んで生育する。花は光沢のある4枚の葉の真ん中から1本の白いブラシを突き出しているような素朴な形だが、人目につかず、ひっそりと、しかし、凛として品よく咲いている。1本の茎からは主として1本の花穂しかつけないが、株立ちする植物なので、多くの花が咲きそろって咲いている。それなのに、なぜ「一人静」という名前がついたのだろう。ヒトリシズカの旧名はマユハキソウ(眉掃草)であったようだ。それがヒトリシズカとなったのは、下記のような経緯からと思われる。
鎌倉時代に成立した日本の歴史書である『吾妻鏡』では、義経の妾であった静御前の悲劇が記され、のちの室町時代になると世阿弥作と伝わる「二人静」の謡曲が有名となった。
則ち、源義経は、頼朝の追手から逃げるため京から奈良の吉野山に逃げた。義経に従った妾の静は吉野山で義経とはぐれ、頼朝軍に捕らえられ、鎌倉に引かれて厳しい取り調べを受けた。頼朝の前で舞を舞う命令を受けて舞うが、敵である頼朝の前で、義経への思慕を歌い舞う静の姿に、多くの人は同情し大きな感動を与えた。
そして室町時代の謡曲では、吉野山の勝手明神の神事に使う摘み草の菜摘女に静の霊がのり移り、菜摘女は神職の前で自分は静であると名乗った。神職は、では舞を見せよと言うと、菜摘女と、その背後に現れた静の霊とが一挙一頭足寸分違わぬ舞を舞うという内容で、この謡曲が有名となり、通常2本の花穂が立つツギネグサにフタリシズカの名が、1本の花穂が立つマユハキソウにヒトリシズカ名がついたのであろう。
筆者の経験では、フタリシズカは人里に近い山野の、日の当たる場所でよく見かけるが、ヒトリシズカには滅多に出会うことがない。そんなヒトリシズカの花言葉は、「静謐(せいひつ)」であり、「隠れた美」となっており、静御前の気持ちや生きざまを表象しているように思われる。