4月 チゴユリ(稚児百合)イヌサフラン科

 チゴユリは、落葉樹林の低山では、必ずと言ってよいほど出会う草丈30cmほどの草本だ。ユリ苗を超小型にしたような草姿で、地味な山野草である。植物にあまり関心がない人は、ササの苗かとみなして、気にも留めず足早に通り過ぎる。

 だが、4~6月にかけて茎の先端の葉に、隠れるように1cmほどの白くて清楚な花を1~2個咲かせる。じっくり見ると実に愛らしい花だ。小さくて可愛い花をつけることから、和名も「稚児百合」となり、花言葉も「恥ずかしがり屋」「純潔」となっている。

 そのため山野草愛好家には人気が高く、葉に斑模様が入るもの、花が紫色や黄色みを帯びるものなど、突然変異の各種を見つけては集め、鉢植えにして棚に飾り、花を下から覗き見して楽しむ人も多い。

 何に興味を持つか、人さまざまであるが、植物に興味を持つと、山歩きだけでなく、街中の散歩でも、色々な発見があり、そのたびに新しい感動がある。公園の植物、通り道にあるお宅の庭木、小料理店の玄関前の植え込み、床屋の店先のミカン箱に植わっている草花などなど、四季折々に変化があり、小さな発見ながら、ちょっとした喜びや感動を覚える。

 植物に興味がない人は、仮に眼の網膜にこれらの植物が映っても、脳内の「海馬」では「雑情報処理」され、見たこと自体が認識されず、記憶にも残らない。

 日本は温暖で雨量も多く、砂漠の国とは異なり、植物は旺盛に繁茂する。四季が明瞭で季節に合わせて植物は変化する。ちょっとした街中の散歩でも、四季折々に小発見があり、小感動を覚えることになる。だからこそ古くから和歌や俳句という文学が生まれている。

 山野草を愛培することが趣味の筆者は、そのように考えるのだが、・・・こじつけだろうか。

4月 ツマキチョウ シロチョウ科

 モンシロチョウよりもやや小さい白い蝶で、前翅の先端が尖り、雄の場合はその先端部分のみがオレンジ色をしている。筆者がチョウ採集を始めた中学生の頃(1955年頃)は、住んでいた杉並区高円寺界隈では見られないチョウであった。このチョウを採集するために、わざわざ八王子や高尾(当時の駅名は浅川だった)まで出かけたものである。現在では武蔵野市でも見られるチョウになっている。

 このチョウは、満蒙系のチョウで、日本以外ではロシア沿海、朝鮮半島、中国に分布し、年1回サクラの花が咲く春先にだけ羽化し、短い期間だけ飛び回るが、それ以降は翌年の春まで姿をみることができない。カタクリの花のようにスプリング・エフェメラル(春の儚き命⇒春の妖精)と呼ばれている。

 筆者が中学生頃のチョウの図鑑には、ツマキチョウの幼虫が食べる食草は、ハタザオ、ヤマハタザオと書かれてあった。これらの植物はナズナ(ペンペングサ)に近い仲間の草であり、ナズナの果実は三味線のバチに似た三角形であるのに対して、ハタザオの果実は棒状であるためハタザオの名がある。これらの植物は山地に近い人里~山地にかけての草原や林縁など、夏が涼しい地域に生育しており、家が建てこみ、緑が少なく夏が蒸し暑い市街地の高円寺では見られなかった植物で、そのためツマキチョウもみられなかった。

 しかし近年、市街地でもツマキチョウが見られるようになったが、その理由は、ハタザオなどの食草に加えて、オオアラセイトウ(別名ショカッサイ、紫金草、ハナダイコン、ムラサキハナナ)を食草として利用するようになったからである。

 このオオアラセイトウは、中国原産であるが、H大学のY博士が、戦後南京で採取した種子を、ある考えに基づき、拡散・繁殖運動を行い、賛同者も多く、ここ数十年の間に雑草のように市街地のあちこちでも見られる植物になったようだ。それがツマキチョウの市街地への進出になっているように思われる。その運動の是非はさておき、外国の植物の雑草的な繁茂によりツマキチョウが市街地進出を果たしたことは、生態系保全の面からみて、どう考えるべきか、単純には喜べないと思う。

4月 サワフタギ (沢蓋木、ルリミノウシゴロシ) ハイノキ科

 北海道~九州の山地の沢や湿地などの、湿気のある場所に生育する落葉低木。4~5月に若枝の先端に、白い5弁の小さな花が円錐状に多数集まった花を咲かせるが、一つの花におよそ20本の白く長い雄しべがつくので、遠目には花序全体が白くフワッとした塊りになり、枝に積もったクリスマスツリーの雪綿のように見えて美しい。

 サワフタギの名前は、湿気のある沢沿いなどに枝を横に多く伸ばして、沢をふさぐほどに繁茂することに由来する。別名のルリミノウシゴロシ(瑠璃実の牛殺し)は、果実が瑠璃色をしていること、そして材が硬いので、牛の鼻輪に使われたことに由来する。同様にバラ科のカマツカも鼻輪に使われたが、こちらは果実が赤いので、区別のために「瑠璃実の」という形容詞がついた。

 ところで、大方の果実は種子が熟して散布に適した時期になると、鳥や獣類に果実を食べてもらうため、果実を赤く変色して知らせている。なのにサワフタギは、なぜ瑠璃色に変色するのだろう。メジロやキビタキなどの野鳥は好んでサワフタギの実を食するようだが、なぜだろう。瑠璃色の実は大変美しいので、庭木としても植えられているが、それは人間の美意識による価値観である。赤くはないがこの実は美味しいと、親鳥や仲間が教えているのだろうか。

 さて、万有引力を発見したニュートンは、「光線には色はない」と言った。つまり、色は物理世界に存在するのではなく、反射してくる光線の波長の違いを、脳が判断して色として認識するという意味である。人間の場合、短波長を青、中波長を緑、長波長を赤として認識する。紫外線や赤外線は受け止められず見えない。だが、花を訪れる昆虫は違う。モンシロチョウは紫外線を受け止めることができる。モンシロチョウのメスの鱗粉は紫外線を反射し、オスの鱗粉は反射しないので、彼らにはオスメスが即座に見分けられる。

 果実食の野鳥はどうなのか。ハチドリを使った実験では、紫外線が見えていることが証明された。果実を丸呑みする野鳥は味覚音痴であることが知られている。赤く熟した果肉は無毒だが、中の種子は猛毒のイチイの実を野鳥は好んで食べている。丸呑みだから無事なのだ。赤熟した唐辛子を哺乳類は食べず、食べるのは鳥類である。

 ここでなぜサワフタギは瑠璃色に熟すのか、そして味音痴で丸呑みする野鳥が、なぜサワフタギの実を好むのか、疑問が疑問を呼び落ち着かない。毎日が日曜日の筆者(後期高齢者)は、好奇心が強まり、好奇高齢者、拘奇高齢者になりつつあるようだ。