クマガイソウの名は、源平の一ノ谷の合戦で、平家の若武者である平敦盛(16歳)を捕らえて、首を撥ねた武蔵国熊谷郷出身の荒武者である熊谷直実の名からきている。
当時の戦いでは、武士は兜や鎧の背中に幅広の布(母衣、ほろ)を装着し、馬に乗り風を利用して膨らませ、背後からの弓矢を防いで戦ったが、その風船に似た母衣の形にクマガイソウの花の形が似ているところから名付けられた。
この頃の弓は丸木弓(1本の木材を削って弓にしたもの)が主流で、反発力が弱いため、間近で引いた矢でないと殺傷力はなく、兜と鎧の間に見える首筋を流れ矢から守るための防具が母衣であった。
クマガイソウは、そんな悲惨な歴史を背負って咲いているのは哀れであるが、熊谷直実は後に武者として多くの人を殺めてきたことを後悔し、自ら断髪して法然上人のもとで出家、蓮生という法名で、沢山のお寺などを創った。
現代人の筆者は、クマガイソウの風船を背負った姿は、母衣ではなく、悔しさ、哀しみなど諸々の思いや歴史を詰め込んだ背嚢(リュックサック)を胸に掛けて、静かに瞑想しているように見える。