筆者は毎年9月下旬~10月上旬に、長野県川上村方面にキノコ観察に出かけている。ここは花崗岩が風化して出来た真砂土の土地なので、貧栄養の土壌で水分保持力が低い。そして標高が1,000mを超える高冷地なため、農業に不向きで、昔はオオカミの血を引く「川上犬」を使っての狩猟で生計を立てていた土地だ(現在はレタス栽培で裕福な村となっている)。そのような高原で車をとめて辺りの草叢を見回すと、草丈の低い割には花径4㎝前後の大きな花をつけるマツムシソウが目に飛び込んでくる。
草丈は土地柄のせいか30~50㎝と低く、葉も羽根状に細く切れ込んだ葉で存在感が薄い。他の草が茂る中から長い花径を伸ばし、淡青紫色の華奢で儚げな花をひっそりと咲かせる。花の中心は頭状花が円形に集まり、その外側に3裂した比較的大きな花弁が取り巻き、襟元を飾るフリルの役をなしている。上品な風情の花で派手さはないものの、何かヒトの気を引く雰囲気を持っている。
名前もマツムシソウという風雅な名前だが、これは秋にマツムシが鳴くころに咲くからという説が一般的だ。しかし、秋鳴く虫にはスズムシ、クサヒバリ、キリギリスなど多数あるのに、なぜ、マツムシを取り上げたのか、どうにも納得できない。
老齢となり意固地なところが出てきた筆者は、なぜかを調べてみた。どうも楽器の音に関係するような気がする。巡礼がお経を読むときに使うものを「持鈴(じれい)」と呼び、鐘に取っ手がついていて、持鈴を振って鳴らすことを振鈴(しんれい)と言う。一方、一般家庭の仏壇でチーンと鳴らすのは「お鈴(おりん)」と呼ばれ、取っ手がなくお椀を伏せた形をしている。そして、歌舞伎の下座音楽に用いられ、巡礼の出入りや寂しい寺院の場面などに用いられている鉦(かね)は、「松虫(まつむし)」と呼ばれている。チンチーンと鳴る音がマツムシの鳴き声に似ているからであろう。形は仏壇の「お鈴(おりん)」を平たくした形で大小2つ鉦(かね)の組み合わせになっていて、大小の鐘をT字型の撞木で打つと、マツムシが鳴いているような音がすることからの「松虫」の名となったのだろう。
さて、マツムシソウの花後の頭部は、この叩き鉦、すなわち歌舞伎の「松虫」に似た形をしており、マツムシの鳴く季節に咲くところからの連想でマツムシソウとなったのではないかと結論し、自らを納得せしめた。
なお、マツムシソウの花言葉は「悲しみの花嫁」、「私はすべてを失った」であり、西欧では「恵まれぬ心」「未亡人」となっている。この花の色と草姿が洋の東西を問わず同じ発想を生むのであろうか。高原の草叢にひっそりと咲くマツムシソウが、寂しげになにかを訴えている風情にみえるのもそのためだろう。