6月 スジグロシロチョウ(筋黒白蝶) シロチョウ科
今年の5月30日、スジグロシロチョウが観察園に飛来した。なんと10数年ぶりの再会!!!である。観察園のある吉祥寺北町界隈において、20年前はスジグロシロチョウとモンシロチョウは、ほぼ同じ割合で見ることが出来た。しかし、ここ10数年の間、なぜかスジグロシロチョウが全く見られなくなっていたので、至極感激した。
モンシロは陽が良く当たるオープンスペースを好み、畑で栽培されるキャベツ、ダイコン、ブロッコリーなどの十字花植物を食草として繁殖している。一方、スジグロは、開けた明るい場所を好まず、生垣や庭木、建物などによってできる半日陰を好み、そうした場所でも旺盛に繁殖するイヌガラシ、タネツケバナなど雑草の十字花植物を食草として繁殖してきた。
吉祥寺北町は、農地も残り、広い庭をもった戸建て住宅も多く、庭木や垣根の根元などで雑草として生えているイヌガラシも多かったので、モンシロもスジグロも多く生息していたのだ。だが、20年ほど前から、①通勤に便利、②買い物に便利、③住環境が良いという評価基準により、「住みたいまち」として関西の芦屋と全国1、2位を争うほど評判が高まり、土地が高騰した。多額の相続税支払いの問題から、広い庭つきの戸建て住宅は売却され、その敷地には低層アパートが建設された。あるいは敷地が細分割され、庭のない小さな戸建て住宅が複数軒新築されるようになった。そのためスジグロの好む半日陰や、イヌガラシが繁茂できる土壌が失われ、スジグロは市内から姿を消した。
しかし近年、再びスジグロが増えだしたとの観測情報も出てきた。なぜだろう。推測するに、1つは畑での農作物の栽培法の変化であろう。都市部での生活に順応して、近年数を増してきたムクドリからの食害を防ぐため、防鳥ネットやビニールシートで作物を覆う栽培が一般化してきたため、モンシロは産卵植物を失い数が減少した。これにより、これまでスジグロの生活分野まで進出していたモンシロが減少し、スジグロの生きる場所が出てきたことが理由の1つではないか。そしてもう1つは、土地の高騰により、農業を続けるのをやめて、畑地を住宅地として販売する農家も出てきて農地が減少したことだ。これによりモンシロは減少し、雑草を餌としているスジグロが復活したのではないか。市街地の生きものは、人間の行動変化に伴い、栄枯盛衰を繰り返していることを身近に感じる。
5月 スイカズラ(吸い葛、忍冬) スイカズラ科
スイカズラの漢字をネット検索すると、必ず「忍冬」の字が出てくる。しかし、これは冬でも葉が少し残っているところから名付けられた漢名であり、日本名はスイカズラなので、「吸い葛」が正しい。醍醐天皇の頃の918年に深江輔仁が書いた『本草和名』(中国の本草書に記載ある薬物の日本名を書いたもの)には、忍冬の和名は須比加都良、すなわち日本名はスヒカヅラと書かれている。日本名のスイカズラは、甘みの少ない時代に、子供達がこの花の蜜を吸って遊んだことからの名前のようだ。
ネット検索すると、口裏を合わせたようにWikipediaを始めとして多数のサイトで「砂糖がない古い時代に、砂糖の代わりに使われた」との記載が目立つ。しかし、スイカズラの花の蜜の量はほんのり甘みが感じられる程度の量であり、砂糖代わりに使うには、この花を何十~何百も摘まねばならないであろう。この程度の花の蜜はツツジの花にもあるし、キイチゴほか甘い果実もある。イタヤカエデの樹液を煮詰めればかなりの量の甘味料が得られる。古い時代の人はハチミツを知らなかったであろうか?そんなことはあるまい。砂糖の代用の記述は誰かが思いつきで書いたものを、真偽を調べずに孫引きで記載したものと筆者は思う。
砂糖の代用にはならなかったが、スイカズラは中国渡来の「本草書」に、忍冬は、利尿、健胃、解熱作用があるとされ、漢方薬としてもよく使われた。我慢・忍耐を信条とし、健康オタクであった徳川家康は、自ら薬草を育て薬の調合までしていたが、スイカズラの葉のお茶や、花を酒に漬け込んだ「忍冬酒」を愛飲していたという。その名残りであろうか、今でも浜松では忍冬茶・忍冬酒が生産販売されている。
一方、アメリカでは日本からのスイカズラ(吸い葛)が異常繁殖し、有害植物として駆除の対象になっている。同様に日本から渡来したクズ(葛)も世界の侵略的外来種ワースト100に選ばれ、駆除の対象となっている。カズラ(葛)もクズ(葛)も、アメリカでは嫌われ者だ。
6月 カライトソウ(唐糸草) バラ科
草丈は1m程度で、茎は上方でよく枝分かれし、その先端に花穂をつける。花穂は細長い円柱形で、紅紫色の多数の小花が密集して開花する。花弁は小さくて目立たず、代わりに紅紫色の長さ1㎝ほどの雄しべが多数突き出て目立ち、長さ10㎝ほどの花穂全体が、ネコの尻尾のように膨らみ、多数の花穂が垂れ下がって美しい。光に輝く唐糸(絹糸)のような、雄しべの光る群がりが綺麗な花であるが、一般的には栽培されておらず、花壇で見ることは滅多にない。観察園に訪れる来園者は異口同音に初めて見る花だと感心する。
カライトソウは、岐阜、富山、石川、福井県にまたがる日本海側の豪雪地帯である両白山地と言われる山域の、亜高山帯の砂礫地、岸壁、草地などの、涼しくてあまり乾燥せず、かつ水はけのよい場所に生育する日本固有種である。東京の市街地のように、夏場に気温が高く地面が乾燥して高温になるか、根が蒸れてしまう地域では栽培が困難である。このことが花壇で見られない理由の一つであろう。愛培し苦労して育て上げた筆者は、心中で自分を褒めている。
そして栽培されない理由のもう一つは、花の美しい日数が短くて、すぐにみすぼらしい姿になることであろう。長い円柱形の紅紫色の美しい花穂を形成しているのは、長い雄しべであるため、雨に当たるとペシャンコになって洗い髪状に垂れ下がり、また、開花して3~4日を経ると萎れて、白濁した茶色に変化し、使い古して汚くよごれて乱れたブラシ様になる。丸っこく長毛でモフモフのネコのスコティッシュ・フォールドにシャワーをかけて風呂浴びさせると、なんとも汚い乞食姿に豹変するのに似ている。美醜の差があまりにも激しい。
見てはいけないものを見てしまう結果となり、苦労して育てても、最後には裏切られる。東京においては「花の命は短くて、苦しき世話のみ多かりき」であるがゆえに、園芸品種とはなりにくいのであろう。
観察園だより6月6日号掲載
ヤナギラン、カライトソウ、クガイソウなど
5月 シライトソウ(白糸草 別名:雪の筆) シュロソウ科
日本と韓国に分布し、日本では秋田県以西の本州~四国・九州の山地に生育している。主として森林の湿った崖や斜面に生える常緑の多年草である。草丈は低く、地面にロゼット状に根生葉をひろげている様子は、ショウジョウバカマに似ている。7~8年前だったか、苗木店から1株購入し、ショウジョウバカマなどを植栽したコーナーに植えたことをすっかり忘れていた。昨秋、こんなところにショウジョウバカマの実生ができたのかと思い、周囲の草叢を取り除いて、午前中ぐらい、少しは陽が当たるようにした。
そのせいだろうか、今春、ショウジョウバカマとばかり思っていた根生葉のロゼットから、長い花径を一筋直立させ、20㎝ほどの白い穂状の花をつけた。瓶洗いのブラシ状の白穂が屹立したその様は、派手さはないが楚々として凛とした静かな立ち姿であり、言いようのない感激を覚えた。花言葉は「ゆったりとした時間の流れ」だそうだ。なるほど、この花の立ち姿が、静謐な空間を生み出しているように思える。
5月 アオスジアゲハ(青条揚羽) アゲハチョウ科
岩手県・秋田県以南の本州~南西諸島に生息、北海道には分布しない南方系のチョウである。翅(はね)は黒色だが、前翅(前ばね)から後翅(後ばね)にかけての翅の中心部に、縦に太い青緑色の帯が走っている。この帯には鱗粉(りんぷん)がなく、透明で、太陽光が明るく透けて見える。黒い闇の中に信号機の青色光が縦に並んでいるようで魔力とか神秘的な雰囲気を漂わせ、南国的で洒落た美しいチョウである。
筆者が中学生でチョウの採集をしていた65年前は、神社など限られた場所に行かなければみられないチョウで、かつ、素早く飛び回るので採集が困難なチョウであった。戦後の復興により街路樹が植えられるようになり、市街地の大気汚染、道路からの照り返しによる夏の暑さ、病害虫に抵抗力がある樹木として、広島の原爆でも生き残ったイチョウやクスノキが街路樹や公園樹として、多く植えられるようになった。クスノキはアオスジアゲハの幼虫の食樹(エサ)となるので、東京の市街地でも見られるようになったチョウなのだ。
筆者が社会人となり、デパートで、黒色に近い濃紺の地にアオスジアゲハの青緑色の紋が入ったネクタイを見つけた。無性に入手したくなったが、当時の給料の中からでは買えない大変高価なものであった。後日、売れ残っていたので夏のボーナスで思い切って購入し、毎日のように着用した。そのネクタイを見た社内のある女性が、素敵なネクタイねと褒めてくれたが、それが縁で妻となった。
結婚後、妻は毎日同じネクタイはオカシイ、何回も着用すると汚れる、貴方には似合わないと・・・と段々批判の言葉が強くなった。かまわず毎日のように着用していたため、擦り切れてきたので破棄した。あのネクタイが現在でも売っていたら購入したい気持ちはあるが、退職した老後の生活では、背広にネクタイの装いをする場もない。アオスジアゲハは筆者の青春の想い出をのせて、今日も街中を羽ばたいている。
5月 ノアザミ(野薊) キク科
ノアザミ(野薊)キク科
北海道を除く本州~九州に分布する宿根草で、山裾、草原、河川敷、路傍など日当たりがよく水はけのよい場所に自生する。各種アザミの中で、最も広範囲に分布し、夏や秋ではなく、春(5月~8月)に咲く唯一のアザミだ。このため、アザミと言えばノアザミであることが多い。花は上向きに咲き、花の付けね部分にある総苞(蕾を包むように葉が変化した部分)が丸くて、粘液を出してネバるのが特徴。
野生のノアザミの花色は、一般的には淡紅紫色であるが、濃紅色、淡紫色、白色などの株が選別され栽培されるようになり、花あざみとよばれていた。やがて、これら栽培品種は、寺岡アザミ、ドイツアザミなどの商品名がつけられ販売されるようにもなったが、すべてノアザミの園芸品種である。しかし、花壇に植えられることは少なく、野山に出かけた時に、咲いているのを見かけてアザミだと認識するのが通常である。
アザミにはトゲがあり、花も派手ではないためか、自立、独り立ち、触れないでといった花言葉が並ぶ。花壇には植えられず、野の雑草の中に放っておかれるアザミであるが、なぜかヒトの心を引き付ける魔力をもっているようだ。空襲で家を失い、知人を頼って下諏訪に移り住んだ詩人の横井弘は、八島湿原に咲くアザミを見て「山には山の憂いあり、海には海の悲しみや まして心の花園に 咲きしあざみの花ならば」で知られる「あざみの歌」を作詞した。井上陽水は「少年時代」で「夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう」と歌った。両人とも、野辺に咲くアザミに、心の底にしまっていた深い思いを寄せている。
詩人ではない筆者のアザミに対するイメージは、孤高、脱俗、といったところであるが・・・。実態は少し違うようだ。日本には約120種のアザミが繁茂しており、場所も湿地帯に咲くキセルアザミ、火山のガレ場に咲くフジアザミなど土壌に対応したアザミが自生し、北は大雪山のミヤマサワアザミ、南は南西諸島の浜辺に咲くシマアザミなど、気温の寒暖にも対応したアザミが自生している。孤高というよりも、不撓不屈といったイメージが合うようだ。