日本では中部地方南部以西の本州~沖縄に分布する落葉高木であるが、中国ほかアジア全体に見られる植物である。クワやコウゾの葉と酷似しており、若木では見分けが難しい。成長が早く、観察園に15㎝ほどの枝を挿し木したものが10年ほどで、高さ4m、幹回り45㎝の高木になった。昔からコウゾやヒメコウゾと間違われており、その結果、シーボルトはコウゾの学名にBroussonetia kazinokiと種名にカジノキとつけている。
カジノキは、樹皮の繊維が強靭であるため、衣服や紙の材料として昔から使われており、メコン川流域の原産のようだが、民族の移動とともに移植され植え広がった樹木のようだ、フィジーほかオセアニア諸島では、樹皮を木槌で叩いて平たく伸ばし、薄い布を作っていた。現在では「タパ」と呼ばれる民族衣装に使われている。一方、中国では樹皮から細い繊維の糸を取り出し、織物を作っていた。七夕の織女が織っていたのはカジノキの繊維だ。そのため日本で江戸時代までは、願い事をカジノキの葉に書き記し、笹の枝に括り付けていた。
調べていて、ここまでは自分が納得できたが、諏訪大社の神紋がなぜカジノキなのかの疑問が生じた。カジノキの古名は「タク」であるが、諏訪大社と関係の深い出雲市には多久町,多久谷町が存在している。もしかしたら古い時代に、出雲地方にタクの国が存在していたのではないかと想像した。大和族からの国譲りの要求に対する条件として出雲族の大国主命は高層で巨大な出雲大社の建造を条件としたが、大国主命の次男のタケミナカタトミノミコト(建御名方富命)は反対して戦い、敗れて諏訪地方に逃げた。しかし「タク」の国を懐かしみ、カジノキを神紋とし、高層の出雲大社を偲び、諏訪大社の御柱祭で大きな樹木を運ぶのも、その片鱗ではないかと想像が膨らんだ。
市井の一布衣の老人に過ぎない筆者には、それ以上真実を見極める学問も財力もない。カジノキは、見かけは極めて普通の落葉樹であるが、背負っている歴史には、とてつもなく長く深い物語がありそうだ。