11月 サフラン(咱夫藍、蕃紅花) アヤメ科

 先日来園したあるご婦人は、「わァ~。秋に咲くクロッカスもあるのねェ~!!」と歓声をあげた。日本では、早春に黄色や濃紫色の花を咲かせるクロッカスはよく知られている。しかし同じクロッカス属の植物でありながら、10月下旬~11月に薄紫色の花を咲かせるサフランの花の実物はあまり見慣れていないようだ。

 クロッカス属の植物は、地中海地方、北アフリカ、中東といった乾燥地帯に約100種が自生している。そのうち秋咲きで、摘み取った花の中心から覗く雌しべの赤い部分を乾燥させ、イタリアのリゾット、スペインのパエリア、フランスのブイヤベースなど料理の風味や色付けの、香辛料として栽培されている栽培品種をサフランと呼んでいる。

 地中海の島で発掘された壁画によると、青銅器時代から栽培されたと考えられるが、雌しべの赤色の部分が長い個体を選別栽培してきた結果、現在のサフランは、種子のできない三倍体のクローン株となっている。故に、株数を増やすのも困難だが、1㎏の乾燥雌しべを得るには約17万個の花から手摘みで丁寧に雌しべを摘み取る必要がある。

 なお、雌しべの柱頭に近い先端部分に色と香りが濃縮し、下部の子房につながる花柱の部分は黄色味をおび、色と香りは薄い。ゆえに、赤色の部分のみを集めたイラン産最高級品のニガン等級品は、1gの乾燥品を集めるのに300個の花が必要とされ、スペインのクーペ(花柱部分を切り捨ての意味)等級品は5gで1万円と高価である。

 さて、日本におけるサフラン栽培は、香辛料としてではなく、生薬採取のためであった。当時、サフランは蕃紅花と呼ばれ、更年期障害や各種婦人病の妙薬として使用されていた。大磯町国府地区の添田辰五郎は、病気にかかり高価なサフランの服用が必要な母のため、明治19年(1886)にヨーロッパからサフランの球根を5個輸入し、独自に栽培開始。気候や土質が異なる日本において、10年の歳月をかけてサフランの栽培に目途をつけた。明治36年(1903)に、辰五郎から球根を譲り受けた吉良文平によって大分県竹田市へ伝わり、同地は名産地になった。

 しかし、竹田市では雨の多い日本の気候でサフランの球根を腐らせないために、5月に畑から掘りあげた球根を、倉庫できれいに棚に並べて保管し、朝晩の気温がぐんと下がる晩秋には低温多湿の雰囲気にして開花を促し、周囲を暗くして葉を成長させず、球根の養分を花に集中させる栽培法をとっている。このため、国産のサフランは雌しべが大きく、色調も鮮やかで、香味も優れており、今や品質では世界一といわれるようになった。花は室内で咲き、丁寧に赤い雌しべが採取され、花を摘み取られた球根は畑に植えられ、5月まで青い葉をみるだけとなる。花盛りのサフランは、こうして人目に触れない箱入り娘のような存在となり、サフランの花を知らない人が出てきたようだ。