江戸時代に中国から渡来した樹木で、和名にしては少し変わった響きのある名前なのは、フタバガキ科の花櫚(かりん、印度紫檀)に木目が似ているとみてつけられた名前であり、花梨は当て字である。
筆者が初めてカリンの名を知ったのは小学6年生の国語の教科書だった。宮沢賢治の『風の又三郎』の中で、「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」の歌の一節でカリンの名前が出てきた。当時はどんな植物か気することもなかった。
それも道理で、カリンはナシやリンゴに近い仲間ではあるが、花は少な目で見栄えがせず、果実は固くて酸味が強く生食には不適だった。それゆえ、砂糖漬けや果実酒にして、咳や痰など喉の炎症を抑える家庭医薬として、旧い邸の広い庭の片隅にひっそりと植えられていた存在だったからである。
筆者が中年になったころ、谷村新司作詞作曲で柏原よしえが歌う「かりん かりん 実らぬ恋 時が過ぎても ただ香るだけ ・・いつになれば 白い薔薇になれるのかしら」という歌が流行った。可憐な少女の気持ちを歌ったのだと、当時は受け止めていた。
だが10年ほど前、女優の山口果林が『安部公房とわたし』と題した告白本を出版した。それによると大学生の時に俳優座に入団、安部公房に師事し、彼は彼女に「果林」の名をつけ、果林は彼の不倫相手となった。彼は妻と別居し果林は23年の間愛人関係を続けた。彼は妻とは離婚したが、彼がノーベル賞候補となったことから、結婚により不倫が世間に知れ渡ると受賞に悪影響を与えると考えられたため、結婚を引き延ばしているうちに、ガンで死亡したことが明らかとなった。
これが事実とすれば、谷村新司は不倫の事実を知っていて、いつまでもウエディングドレスが着られない果林の気持ちを、白い薔薇になれないと歌ったのかと思えてくる。この歌を聞いた山口果林の気持ちはどうだったのだろうと思いやる。暇人の勘繰りかなぁ。