11月 シロヨメナ(白嫁菜、ヤマシロギク)キク科

 青紫を帯びた花が咲くヨメナに対して、よく似ていて白い花が咲くことからシロヨメナと名付けられた。別名をヤマシロギクという。山野の陽が当たらないところにひっそりと自生していて、秋には小さくかわいらしい花をたくさん咲かせ賑やかになる。観察園の入口ゲートを入ってすぐの北向き花壇(サクラの大木の北側で日陰になる)は、今、いつの間にか繁茂したシロヨメナが満開で、白く賑やかだ。「丈夫」「隠れた美しさ」という花言葉通りの生き様である。

 シロヨメナはヨメナの名がついているが、ヨメナはヨメナ属であり、シロヨメナは日の当たる草原に生えるイナカギクと同じシオン属である。だが、イナカギクの別名もまたヤマシロギクであり、山地に生え同じような花をさかせる野菊にシロヤマギクという植物もある。ややこしいこと限りなしだ。

 筆者は太平洋戦争の真珠湾攻撃4ヵ月後に高円寺で生を受けた。両親とも東京生まれ育ちの一人っ子だったため、頼れる農村の疎開先がなく、祖父が生前新聞社(山陰日日新報)を開いていたので知人が多い、という理由だけで鳥取県米子に疎開した。しかし、父は出征し、母は身ごもっており、食糧難に悩まされ、筆者は祖母と一緒にヨメナ、アカザ、スベリヒユなどの摘み草をよくやった。

 生まれた妹は栄養失調で死亡し、遺体は街から少し離れた畑の傍らに建つ粗末な火葬場で焼かれた。周りに風を遮るもののない畑中の火葬場の煙は、焼きあがりまで時間つぶしに野菊を摘みながら待機する筆者の方へ流れてきた。その時に嗅いだ強烈な臭いは、今でもハッキリ覚えている。

 戦後に高円寺に戻ってきたが、食糧事情は悪く、祖母と一緒にまたもや摘み草をやった。ある日、褒めてもらおうと一所懸命摘んだヨメナを祖母に見せたところ、ヨメナではないヨと一蹴され、がっかりした。今考えるとアレは同じヨメナ属でも別種のカントウヨメナであったようだ。こうしたことがあったからか、どうも野菊類の識別は、今もって苦手である。