3月 ダンコウバイ(檀香梅) クスノキ科

 春先には、ダンコウバイ、ロウバイ、サンシュユ、アブラチャンなどの黄色い花が妍を競って咲き始める。ダンコウバイとは、日本に自生する花の名前にしては、いかにもいかつい名前である。どうも中国由来の名前のようだ。ダンコウバイのダンコウ(檀香)とは、香木のビャクダン(白檀)のことだが、ダンコウバイ(檀香梅)の材にはクロモジに似た良い香りがあるので、「檀香」はまァ良しとしても、花の形も色も香りも梅に似ていないのに、なぜ檀香梅という名をつけたのだろうか。

 中国では、花弁が円形の花に梅の名をつけるクセがあり、ロウバイ(蝋梅、ロウバイ科)を始めとして、オウバイ(黄梅、モクセイ科)、ギョリュウバイ(御柳梅、フトモモ科)、キンシバイ(金糸梅、オトギリソウ科)、などなどに「梅」が見られる。

 だが、ダンコウバイの花は、断じて梅の花の形ではない。おかしい。気になって更に調べてみた。すると、「檀香梅」の名はロウバイ(蝋梅)の中で、花が大きい園芸品種(別種との説もある)につけられた名前であったものを、日本の植物学者が借用して、日本の植物(地方名:ウコンバナ、シロジシャ)につけたものであることが分かった。ロウバイの花は香りがよく、花が黄色という梅との違いはあっても、形は梅の花に似ている。花弁も蝋細工のようにつややかなので、ロウバイ(蝋梅)も、その品種名のダンコウバイ(檀香梅)も、名は体を表していると言えよう。

 しかし、日本の植物に、他の植物の名を借用(盗用?)してダンコウバイの名をつけたのは、大間違いだ。名が体を表していない。梅の花に似ていないのである。体を表していない名前を借用するとは、無節操・無頓着であり、いきどおりさえ感じる・・・が、ダンコウバイは、そんなことお気になさらずに、ありのままの私を愛でてくださいませと、問いかけてきたように感じた。

3月 キクザキイチゲ(菊咲一華) キンポウゲ科

 本州の近畿地方以北、北海道に分布、落葉広葉樹林の林床に自生している。キンポウゲ科イチリンソウ属の植物で、同属にはニリンソウ(二輪草)、サンリンソウ(三輪草)などがある。本種はキクに似た花を一輪つけるところから、菊咲一華(別名:菊咲一輪草)の名がついた。

 春先に花を咲かせ、落葉広葉樹林の若葉が茂るころには、地上部の葉は枯れてなくなり、カタクリと同様に翌春まで地中の地下茎で過ごすスプリング・エフェメラル(春の短い命、春の妖精)と呼ばれる生活史を送る。花に花弁はなく、萼が花弁のようになっており、主として白色、時に青色、稀に赤紫色の花を咲かせる。沢山の株が集まり花を多くつけると、大変美しい。

 過日、群馬県の玉原湿原を仲間と訪れた時、仲間は登山道を辿ってブナ地蔵までを往還するコースを選び、筆者は仲間と別れ銅金沢を上下するコースを辿った。銅金沢では、キクザキイチゲの青い花が咲いていて、美しい青い目で凝視されているような不思議な感覚を覚えた。仲間と落ち合う時間になったので、沢を降りてきた時のことだ。前方30m先の左の藪から大きな熊が出て、こちらを一瞬見たあと、ドスドスと地響きをたて道を横切り、右の藪に消えた。

 凍り付いた恐怖心が幾分治まってから、さてどうするかを考えた。落ち合う場所に行くには、熊が消えた場所を通らねばならぬ。まだ藪の中に潜んでいるのか、遠くへ去ったのか、しばらく考えた。あいにく熊鈴も携帯ラジオも持ち合わせていないので、大声で歌でも歌って通り過ぎようと決心した。落ち合う場所まで近い。どんな歌がよいか。勇ましい軍歌だと、仲間に聞こえた場合、恥ずかしい。だいぶ迷った。ともかく大声で歌って仲間と無事に落ち合うことができた。

 それ以来キクザキイチゲの、訴えてくる来るような青い花をみると、その時の恐怖心が蘇ってくる。どんな歌を歌ったのかは、まったく覚えていない。歌ではなく単なるわめきだったのだろうか。

3月 マンサク(満作、万作、金縷梅) マンサク科

 野山の草木がすべて眠っている冬景色の中で、梅より早く、真っ先に鮮黄色の花を咲かせる。一つ一つの花は小さく、花弁もチラシ寿司の錦糸玉子のような細い短冊状で、地味で質素な花である。だが、枝一杯に多数の花が咲き揃うと、一叢の黄色い炎のように輝いて、冬の名残りの景色を春景色に変えてくれる。日本の農村の雑木林で見られる懐かしい風景だ。名前の由来として、枝一杯に花を多数つけるところから満咲く、他の植物に先駆けて咲くことから「まず咲く」などがある。

 極めて日本的な花と思えるが、似たものにシナマンサクがあり、マンサクより花が大きく、黄葉も美しいので、公園などに植えられている。冬に落葉する日本のマンサクと異なり、シナマンサクは花時でも枯葉が落ちずに枝についている。これはまぁよいとして、よく似たアメリカマンサクがある。北米大陸の東海岸に自生し、現地では初秋から晩秋に開花すると言われているが、日本の公園ではシナマンサクと同様に、マンサクより一足早く開花している。

 なぜ北米東海岸にも同類が分布するのか、調べると地球の古地理が絡んでいることがわかる。今より、6,500万年~2,300万年前の地球は大変暖かく、北極を取り囲む地域は落葉樹林帯だったようで、その後の地球の寒冷化により、これらの植物は南下していった。ヨーロッパでは北極からの氷河とアルプス、ピレネー山脈からの氷河により挟み撃ちにされ、多くの動植物が絶滅、中国大陸も北極からとヒマラヤからの氷河に挟まれた。東海岸沿いに南下出来た植物と日本の植物に共通するものが多い。一方、アメリカ大陸では、西海岸はロッキー山脈などがあるため、高い山脈のない東海岸沿いにフロリダ半島まで南下している。日本でも、鹿児島県の高隅山に冷涼地を好むブナが遺存しているのは、南北に長い日本列島を、海面が低下し陸続きとなった氷河期に南下したものの子孫だと思われる。

 こうした古第三紀から新第三紀初期にかけて、グリーンランド、アラスカ、カナダ、シベリア、サハリンなどに分布した植物群は「第三紀周北極植物群」と呼ばれ、ヤナギ、カバノキ、コナラなど、日本との類似種が、北米大陸にも多く自生している。マンサクもそうした植物で、里山でつましく咲いている小灌木なのに、長い年月と長い距離を旅してきたんだねぇと思うと、大変愛おしく感じる。

3月 アズマヒキガエル(東蟾蜍) ヒキガエル科

 今年はヒキガエルが2月20日に現れた。この日の気温は18.1℃で、2月としては異常な高気温であり、冬眠から目覚めたのだろう。大きな体のメスの背中の上に小さなオスがしがみつき、のそりのそりと歩いている。だが産卵まではいかず、再び冬眠に戻ったようだ。

 ヒキガエルは正確にはニホンヒキガエルと言う種名で、西日本に分布するのをニホンヒキガエルという亜種名とし、東日本に分布するのをアズマヒキガエルという亜種名としている。この写真では分かりづらいが、写真のヒキガエルはアズマヒキガエルで、西日本のものよりも剥きだしになった鼓膜(目の後方にある丸くて平らな部分)が大きい(目から鼓膜までの距離が鼓膜の直径より短い)ことで区別している。

 拙宅の手作りの小池(直径50㎝程度)では、去年は3月11日(17.8℃)に13匹のヒキガエルが現れ、4月25日(24.3℃)に9匹が現れ、カエル合戦が始まった。2期に分れ集団お見合いが始まったのである。申し合わせたように同じ日に多数のカエルが集まることができるのはなぜなのか、なぜ2期に分れたのか不思議でならない。

 本来は鈴鹿山脈以西に棲息するニホンヒキガエルが、東京には人為的に持ち込まれ繁殖しているようだ。産卵行動が2期に分れたのは、その2種の違いによるものなのか、観察を続ける必要がありそうだ。

 因みに、俳句の世界でヒキガエルは、夏の季語となっている。夏に活動が活発になるからというのがその理由のようだ(俳書『山之井』北村季吟撰、慶安元年1648年刊)。だが、ヒキガエルは産卵の時以外は林や草叢の陰で待ち伏せ型の採食を行い、ミミズ、ダンゴムシ、ゴミムシなどを舌で捕らえて食べている。春の産卵期を逃すと身近では滅多にみられない生活をしているので、夏の季語としていることに無理を感じる。「古池や 蛙飛び込む 水の音」の芭蕉の俳句に出てくるカエルは、そのためツチガエルであるという解釈がされている。この俳書でヒキガエルが春の季語とされていたら、何の抵抗もなくこの句はヒキガエルであると素直に受け止められるのだが・・・・・。

2月 フキノトウ(蕗の薹)

 年が明け、日が暮れるのが少し遅くなり、陽射しも心なし強くなってきたと感じるころから、フキノトウの芽が膨らみ始める。晴天が続くと、冬の乾燥でパサパサとなって、干からびて死んだような土の上に、元気よくフキノトウが伸びだしてくる。あのみずみずしい明るい黄緑色のフキノトウは、春到来の喜びを感じさせる。

 漢方では、「薬食同源」と言って食べ物での病気予防を目指す教えがあり、漢方を学んだ石塚左玄の『食物養生法』では、春は苦味、夏は酸味、秋は辛味、冬は油を摂れと述べている。フキノトウの苦みは、抗酸化作用をもつポリフェノールの味である。その薬効は冬の間に蓄積した老廃物を、体内から取り除くと言われており、まさに春の目覚めの妙薬だ。

 筆者はフキノトウの苞(花蕾を包んでいる葉のような部分)を、千切りにして味噌汁に浮かべ、香りと苦味を味わうのが大好きだ。冬の野山では、あの若々しい緑色に出会えなかったので、フキノトウの苞の若緑色がとても美しく感じる。

 だが、観察園では珍しさから、赤花フキノトウが人気だ。近年、青森県で見つかったと言われる変異株で、苞も花もあずき色をしている。多くの草木の新芽が赤いのは、紫外線に弱い葉緑体を守るため、葉緑体が十分に増えるまで、葉がもつアントシアニン(赤色)が紫外線を防ぐ役割をしていると言われている。アセビ、クスノキ、ナンテンなどと同様に、赤花フキノトウもアントシアニンをことさら多く持つ変異株なのだろう。成長すると、葉は他のフキの葉と同じ緑色になる。

 ためしに、赤花フキノトウの苞の一枚を千切り取り、齧ってみた。非常に苦く、渋く、えぐみの強い味がした。二度と食べる気にはならない。アントシアニンもポリフェノールの類なので、ことさら苦くて当然なのだろう。これでは、春到来の喜びを味わうほろ苦さとは言えず、食べるのはやめておいた方がよさそうだ。

2月 セツブンソウ(節分草) キンポウゲ科

 春の節分の時期になると、花を咲かせてくれることからの名前。1株だけだと、咲いていることに気づかないほど、白くて小さな花である。春はまだ遠い時期なのに、節分となると冷たい地面から小さい花茎をもたげ、律儀に花を開き、2月中旬には満開となる。

 2月中旬は二十四節気で「雨水」と言い、雨が降るようになる。土が湿り気を含むので、七十二候では「土脉潤起」の時期と呼ぶ。土の中の脉(ショウ、脈のこと)が潤い、土が生き返ってきたという意味だ。一方、『金色夜叉』の作者の幸田露伴は、娘の幸田文を庭に連れ出し、暖かさで土中の水分が地表に上がってきて、冬の乾燥で白く乾いた土の所々が、黒ずんできた状態を指し、パサパサになった洗い髪が、頭皮から滲み出る脂で、徐々に髪がしっとりしてくる状態に似ていると見て、「土膏が動く(どこう、土のあぶら)が動く」と言うと教えた。

 セツブンソウは、「土脉潤起」、あるいは「土膏動く」を感じていち早く花をもたげるのであろうか。サクラのように人々に持て囃されることを嫌うかのように、落葉樹林の林下の半日陰の場所で、10㎝ほどの草丈に、一輪だけひっそりと可憐な白い花を咲かせている。それだからか、人間嫌い、気品、微笑みの花言葉があり、山草愛好家からは愛されている。環境省では絶滅危惧種に指定した。