3月 キクザキイチゲ(菊咲一華) キンポウゲ科

 本州の近畿地方以北、北海道に分布、落葉広葉樹林の林床に自生している。キンポウゲ科イチリンソウ属の植物で、同属にはニリンソウ(二輪草)、サンリンソウ(三輪草)などがある。本種はキクに似た花を一輪つけるところから、菊咲一華(別名:菊咲一輪草)の名がついた。

 春先に花を咲かせ、落葉広葉樹林の若葉が茂るころには、地上部の葉は枯れてなくなり、カタクリと同様に翌春まで地中の地下茎で過ごすスプリング・エフェメラル(春の短い命、春の妖精)と呼ばれる生活史を送る。花に花弁はなく、萼が花弁のようになっており、主として白色、時に青色、稀に赤紫色の花を咲かせる。沢山の株が集まり花を多くつけると、大変美しい。

 過日、群馬県の玉原湿原を仲間と訪れた時、仲間は登山道を辿ってブナ地蔵までを往還するコースを選び、筆者は仲間と別れ銅金沢を上下するコースを辿った。銅金沢では、キクザキイチゲの青い花が咲いていて、美しい青い目で凝視されているような不思議な感覚を覚えた。仲間と落ち合う時間になったので、沢を降りてきた時のことだ。前方30m先の左の藪から大きな熊が出て、こちらを一瞬見たあと、ドスドスと地響きをたて道を横切り、右の藪に消えた。

 凍り付いた恐怖心が幾分治まってから、さてどうするかを考えた。落ち合う場所に行くには、熊が消えた場所を通らねばならぬ。まだ藪の中に潜んでいるのか、遠くへ去ったのか、しばらく考えた。あいにく熊鈴も携帯ラジオも持ち合わせていないので、大声で歌でも歌って通り過ぎようと決心した。落ち合う場所まで近い。どんな歌がよいか。勇ましい軍歌だと、仲間に聞こえた場合、恥ずかしい。だいぶ迷った。ともかく大声で歌って仲間と無事に落ち合うことができた。

 それ以来キクザキイチゲの、訴えてくる来るような青い花をみると、その時の恐怖心が蘇ってくる。どんな歌を歌ったのかは、まったく覚えていない。歌ではなく単なるわめきだったのだろうか。