10月 アイ(藍、アイタデ)タデ科

 アイは東南アジア原産で、日本には飛鳥~奈良時代に中国から朝鮮半島を経て伝来した。木綿糸の量産が可能となった江戸時代以降には作業着から高級衣装まで、あらゆる布が藍染めとなった。それは徳川幕府が「奢侈禁止令」を発令し、町人による絹、錦などの染色を禁止したので、町人は藍染木綿の着物を着ざるを得ず、農民も藍染の木綿の野良着を着用し、職人の労働着としても普及した。そして、商人の暖簾や風呂敷、布団にまで広まった。火消しが藍染めの半纏を用いたのは、火事による温度変化に対する強度が強かったからであり、火縄銃の火縄が藍染めの糸で編んだ縄で出来ていたのも、一時に燃え上がらず細く燃え続ける性質が役立ったからのようだ。
 この様相を見て、明治8年に政府に招聘されて来日し東京開成学校の教授となったロバート・アトキンソンは、「日本においてはアイを染料となし、これを使用するの量、極めて大なり」と語り、「ジャパンブルー」と呼んだ。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も同じようなことを述べている。浮世絵の影響もあり、海外でも「ジャパンブルー」の認識が高まった。国旗に藍色が使われていないのに、国際大会でサムライジャパンなどが藍色のユニフォームを着るのは、こうした背景があるからであろう。