野山の草木がすべて眠っている冬景色の中で、梅より早く、真っ先に鮮黄色の花を咲かせる。一つ一つの花は小さく、花弁もチラシ寿司の錦糸玉子のような細い短冊状で、地味で質素な花である。だが、枝一杯に多数の花が咲き揃うと、一叢の黄色い炎のように輝いて、冬の名残りの景色を春景色に変えてくれる。日本の農村の雑木林で見られる懐かしい風景だ。名前の由来として、枝一杯に花を多数つけるところから満咲く、他の植物に先駆けて咲くことから「まず咲く」などがある。
極めて日本的な花と思えるが、似たものにシナマンサクがあり、マンサクより花が大きく、黄葉も美しいので、公園などに植えられている。冬に落葉する日本のマンサクと異なり、シナマンサクは花時でも枯葉が落ちずに枝についている。これはまぁよいとして、よく似たアメリカマンサクがある。北米大陸の東海岸に自生し、現地では初秋から晩秋に開花すると言われているが、日本の公園ではシナマンサクと同様に、マンサクより一足早く開花している。
なぜ北米東海岸にも同類が分布するのか、調べると地球の古地理が絡んでいることがわかる。今より、6,500万年~2,300万年前の地球は大変暖かく、北極を取り囲む地域は落葉樹林帯だったようで、その後の地球の寒冷化により、これらの植物は南下していった。ヨーロッパでは北極からの氷河とアルプス、ピレネー山脈からの氷河により挟み撃ちにされ、多くの動植物が絶滅、中国大陸も北極からとヒマラヤからの氷河に挟まれた。東海岸沿いに南下出来た植物と日本の植物に共通するものが多い。一方、アメリカ大陸では、西海岸はロッキー山脈などがあるため、高い山脈のない東海岸沿いにフロリダ半島まで南下している。日本でも、鹿児島県の高隅山に冷涼地を好むブナが遺存しているのは、南北に長い日本列島を、海面が低下し陸続きとなった氷河期に南下したものの子孫だと思われる。
こうした古第三紀から新第三紀初期にかけて、グリーンランド、アラスカ、カナダ、シベリア、サハリンなどに分布した植物群は「第三紀周北極植物群」と呼ばれ、ヤナギ、カバノキ、コナラなど、日本との類似種が、北米大陸にも多く自生している。マンサクもそうした植物で、里山でつましく咲いている小灌木なのに、長い年月と長い距離を旅してきたんだねぇと思うと、大変愛おしく感じる。
2月 フクジュソウが満開
2月 フキノトウ(蕗の薹)
年が明け、日が暮れるのが少し遅くなり、陽射しも心なし強くなってきたと感じるころから、フキノトウの芽が膨らみ始める。晴天が続くと、冬の乾燥でパサパサとなって、干からびて死んだような土の上に、元気よくフキノトウが伸びだしてくる。あのみずみずしい明るい黄緑色のフキノトウは、春到来の喜びを感じさせる。
漢方では、「薬食同源」と言って食べ物での病気予防を目指す教えがあり、漢方を学んだ石塚左玄の『食物養生法』では、春は苦味、夏は酸味、秋は辛味、冬は油を摂れと述べている。フキノトウの苦みは、抗酸化作用をもつポリフェノールの味である。その薬効は冬の間に蓄積した老廃物を、体内から取り除くと言われており、まさに春の目覚めの妙薬だ。
筆者はフキノトウの苞(花蕾を包んでいる葉のような部分)を、千切りにして味噌汁に浮かべ、香りと苦味を味わうのが大好きだ。冬の野山では、あの若々しい緑色に出会えなかったので、フキノトウの苞の若緑色がとても美しく感じる。
だが、観察園では珍しさから、赤花フキノトウが人気だ。近年、青森県で見つかったと言われる変異株で、苞も花もあずき色をしている。多くの草木の新芽が赤いのは、紫外線に弱い葉緑体を守るため、葉緑体が十分に増えるまで、葉がもつアントシアニン(赤色)が紫外線を防ぐ役割をしていると言われている。アセビ、クスノキ、ナンテンなどと同様に、赤花フキノトウもアントシアニンをことさら多く持つ変異株なのだろう。成長すると、葉は他のフキの葉と同じ緑色になる。
ためしに、赤花フキノトウの苞の一枚を千切り取り、齧ってみた。非常に苦く、渋く、えぐみの強い味がした。二度と食べる気にはならない。アントシアニンもポリフェノールの類なので、ことさら苦くて当然なのだろう。これでは、春到来の喜びを味わうほろ苦さとは言えず、食べるのはやめておいた方がよさそうだ。
2月 セツブンソウ(節分草) キンポウゲ科
春の節分の時期になると、花を咲かせてくれることからの名前。1株だけだと、咲いていることに気づかないほど、白くて小さな花である。春はまだ遠い時期なのに、節分となると冷たい地面から小さい花茎をもたげ、律儀に花を開き、2月中旬には満開となる。
2月中旬は二十四節気で「雨水」と言い、雨が降るようになる。土が湿り気を含むので、七十二候では「土脉潤起」の時期と呼ぶ。土の中の脉(ショウ、脈のこと)が潤い、土が生き返ってきたという意味だ。一方、『金色夜叉』の作者の幸田露伴は、娘の幸田文を庭に連れ出し、暖かさで土中の水分が地表に上がってきて、冬の乾燥で白く乾いた土の所々が、黒ずんできた状態を指し、パサパサになった洗い髪が、頭皮から滲み出る脂で、徐々に髪がしっとりしてくる状態に似ていると見て、「土膏が動く(どこう、土のあぶら)が動く」と言うと教えた。
セツブンソウは、「土脉潤起」、あるいは「土膏動く」を感じていち早く花をもたげるのであろうか。サクラのように人々に持て囃されることを嫌うかのように、落葉樹林の林下の半日陰の場所で、10㎝ほどの草丈に、一輪だけひっそりと可憐な白い花を咲かせている。それだからか、人間嫌い、気品、微笑みの花言葉があり、山草愛好家からは愛されている。環境省では絶滅危惧種に指定した。
2月 エゾオニシバリ(標準和名ナニワズ 難波津) ジンチョウゲ科
中国原産のジンチョウゲの仲間で、わが国では福井県以東の日本海側と福島県以北の本州、および北海道に冷涼地に自生し、オニシバリの亜種とされている。原種のオニシバリは宮城県以南、山形県以西の日本海側の暖地に産して、住み分けている。
両種ともに、樹高1mほどの落葉低木で、葉や花の形はジンチョウゲに似ており、早春に黄色い花をつける。オニシバリの花は地味な黄緑色で目立たないが、エゾオニシバリの花は鮮黄色であり、春まだき山中でひときわ目立つ美しい存在である。
枝を折り取ることができないほど樹皮が丈夫なことから、それぞれオニシバリ、エゾオニシバリの別名がある。また、夏に落葉することから、オニシバリはナツボウズ、エゾオニシバリはエゾナツボウズの別名もある。さらに、花色に注目して、キバナジンチョウゲ、エゾキバナジンチョウゲの別名もある。しかし、標準和名はオニシバリとナニワズとなっている。なぜエゾオニシバリがナニワズという標準和名なのかが全く解せない。
牧野富太郎は、ナニワズはオニシバリの長野県における方言で、長野県人が北海道において、長野県に生育するオニシバリに似た本種をナニワズと呼んだのが始まりとしている。ではなぜ、長野県人がオニシバリをナニワズと呼ぶのか、これが分らない。
古今和歌集に「難波津(ナニワヅ)に咲くや此花冬ごもり、今を春べと咲くや此花」という歌がある。「此花」は梅の花のことで、「大阪の港町に梅の花が咲いた。今、冬ごもりからさめて春が来た」という意味だが、この歌の中にあるナニワヅ(地方名)が、梅に先駆けて咲くこの植物の名前になったという説がある。・・・が、こじつけのように感じる。そこで観察園では、一方のオニシバリは標準和名で存在するので、その北方系の亜種としてナニワズと書かず、樹名板にはエゾオニシバリと書いた。ナニワズと書かずに御免ねと問いかけたら、美しい花はナニもいワズ、微笑んだ。
1月 ミチノクフクジュソウ(陸奥福寿草)キンポウゲ科
1月下旬に入って、春めいた陽気の日も出てきた。そんな気温の上昇をいち早く感じてか、フクジュソウが咲き始めた。オッとぉぉ~!今、無意識にフクジュソウと書いたが、従来1種類だけと思っていたフクジュソウは、最近4種に細分類されたのだった。
①北海道から本州、四国に分布するフクジュソウ(別名エダウチフクジュソウ、Adonis ramosa、ramosa=枝が多いの意)。染色体=4倍体
②東北地方のみならず、本州から九州にかけて自生するミチノクフクジュソウ(陸奥福寿草、Adonis multiflora、multiflora=花が多いの意)、2倍体。
③北海道東部に稀産するキタミフクジュソウ(北見福寿草、Adonis amurensis、amurensis=アムール地方の)。2倍体。
④四国(徳島、高知、愛媛)と九州(宮崎)に稀産するシコクフクジュソウ(Adonis shikokuensis、shikokuensis=四国地方の)。2倍体の4種である。
上記のほかに、
⑤一般的にフクジュソウと言われ普及しているフクジュカイ(福寿海)と呼ばれる園芸品種がある。フクジュソウが大人気であった江戸時代初期以降、100種以上の園芸品種があった。そうした数ある品種の中で、フクジュカイは、大輪で多くの花を咲かせ強健なため、一般化され、広く栽培されていた。現代でも園芸店などで入手するのは、この園芸品種である⑤フクジュカイの可能性が非常に高い。種子が殆どできず、そのためか①フクジュソウと②ミチノクフクジュソウの交配種と見られている。
⑥青梅近辺に自生するのでオウメソウ呼ばれるフクジュソウである。①フクジュソウの原種であるという見方と、数ある①フクジュソウの園芸品種の1つであるという見方がある。青梅に自分の持ち山があり、そこで栽培している方からいただいたものが、観察園にもある。花は一重咲き、花色は少し黄緑色の楚々たる風情の花で、花と葉が一緒に出てくる。枝葉や花数は少なく、いかにも野生種の感がある。
さて、写真では見分けづらいが、この花を②ミチノクフクジュソウと断定した。それは花弁の下に隠れている萼片が、花弁の長さの1/2以下であり、①フクジュソウの萼片は花弁と同等の長さか、少し短い程度という識別ポイントに従ったものである。園芸店からフクジュソウとして購入したのだが、実は②ミチノクフクジュソウであった訳だ。園芸店でもそうした見分けをせず、(総称)フクジュソウで販売しているのが実態である。
そこで気になるのは、①フクジュソウの染色体のみがなぜか4倍体で、②~④は2倍体であることだ。則ち、今①フクジュソウと呼ばれている個体が、本当に原種なのか、それとも⑤フクジュカイあるいはそれに近い園芸品種なのかの疑問である。古い時代に⑤フクジュカイは広く販売・栽培されたので、原種の①フクジュソウと思っていても、園芸品種である可能性もある。①と⑤の見分けの識別ポイントが明らかでない。従って、観察園にて②ミチノクフクジュソウと⑥オウメソウは間違いないと思われるが、フクジュソウと名札を付けた個体は、今のところ①か⑤の識別が、恥ずかしながら出来ていない。それゆえ総称としてのフクジュソウと理解してもらうほかはない。間違いのない①と⑤を購入して、自分なりの識別ポイントを探そうと思う。
1月 コショウノキ(胡椒の木)ジンチョウゲ科
コショウノキという名前だが、胡椒(ペッパー)が採れる木ではない。中国原産のジンチョウゲの仲間である。図鑑などの情報では、関東地方以西の太平洋岸~沖縄の、林内にやや稀に自生し、果実(有毒)が胡椒のように辛いことが名前の由来とある。筆者はこの苗を大分県佐賀関半島の、蛇紋岩の砂利が多い黒ケ浜近くの海岸林の樹下でみつけて、観察園で育てた。冬の1~2月に沈丁花に似て白い花が咲き、6月頃にクコ(枸杞)の実のような楕円形の赤い液果が実った。
では、なぜコショウノキという名前がついたのか疑問が湧いた。思いついたのは、九州では唐辛子のことをコショウと呼ぶことだ。トウガラシはコロンブスによって米大陸から西欧に持ち込まれ、ポルトガル人により安土桃山時代頃に日本に持ち込まれ、栽培され始めた。唐から渡来した胡椒(=中国名で、胡の国の山の辛い実の意味)に対し、南蛮船によってもたらされたので、当初は南蛮胡椒とよばれた。胡椒は輸入品で高価なため、日本ではあまり普及しなかったが、唐辛子は全国に普及し、略称として東北・北海道ではナンバン、九州ではコショウ、と呼ばれるようになった歴史がある。
辛いからコショウノキ(南蛮胡椒の木=唐辛子の木)と呼んだのか、赤い実の形から唐辛子を思いついたのか、確認したくなった。図鑑には有毒とあるので、恐る恐る一粒を口に入れた。辛くはなく、ほんのり甘い!!中の種子を噛み潰したが、無味であった。辛さからではなく、実の形から唐辛子を想像し、コショウノキと名付けたと推測した。
だが、この判断は間違っていた。筆者と同様に好奇心から口に入れた御仁がいて、舌に猛烈な痛みが出て水泡が出来たとの、真実味のある情報が見つかった。ジンチョウゲ(Daphne odora)と同様に、ダフネチン(Daphnetin)という毒成分があり、舌に炎症を起こし、辛みというよりも強い痛みを感じたようである。
小生はパン食の時でも水分を必要としないほど唾液が良く出るタチなので、すぐ吐き出したから毒成分の被害をうけなかったのだろう。今年は、痛みを覚悟して、しばらく口の中に入れて、辛さ(痛み)を確認してみたいと思っている。・・・・・物好きなヒマ人だねぇ。